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2010年 01月 05日

正月2日は国立の実家に行って、一泊するのがここ数年の恒例になっている。父が死んでからずっと一人で家を守っている母一人が住む家には、ゆっくり時間が流れている。私の暮らした部屋の本箱も弟の部屋のベッドも数十年手つかずのまま残されている。亡父のアトリエも昔のままで、今年の帰省では亡父の残した油絵を写真に納めようと思った。
残されたF20からF100の大作まで30数枚を半日かけて撮影した。どの作品も状態は良く、どれも初めて見るような新鮮さがあった。絵筆を使わず、ペイントナイフだけで描いていた時期の作品は私が幼稚園の頃で、ダルマストーブにあたりながら描いていたことを思い出した。もう残存しないだろうと思っていた戦前の作品も数点見つかった。池袋モンパルナスで空襲に遭い、かろうじて残されたものだ。亡父はグリーンを基調によく使った。それもカドニウムグリーン。昔、「もうこの絵の具は手に入らないんだ」と言っていたことを思い出した。
一枚一枚と対面しながら年号を確認しながらシャッターを押していく。そしてその年号の時代に、私がいくつで何をしていたのかを考えた。亡父の絵によく登場する戦闘機の残骸。かつて亡父と同じ時代を生きたが、私たちの中に流れていた時間は決して同じではなかった。そんな当たり前のことを確認した一日だった。

↑枯花の幻想(1981、F80)
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by komachi-memo2
| 2010-01-05 18:29
| 国立の記憶
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