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「木の住まい」をデザインする 三澤康彦の仕事


c0042548_14552053.jpg 今年のMOKスクールの開講に間に合うように編集を進めてきた2017年5月に急逝した三澤康彦の本『木の住まいをデザインする 三澤康彦の仕事』が完成した。三澤文子さんから出版の相談を受けたのは昨年のまだ暑い盛りだった。三澤康彦がある出版社から依頼されて進めていた木造住宅の設計のノウハウ本の企画があり、彼に執筆を依頼した編集者はすべて丸投げで、三澤康彦が急逝したために頓挫した形になっていた。三澤文子さんはどうにかして三澤康彦の遺志を継ぎたいと思っていた。三澤康彦は私と同年である。まだまだやり残した仕事があり、これから仕事の集大成に入ろうという時期での急逝だった。
 三澤文子さんに言ったのは、ノウハウ本ではなく、三澤康彦の仕事を一冊にまとめようということだった。三澤康彦の生前、彼とそれほど親しかったわけではない。建築家と編集者という仕事の関係で、数回、彼に原稿を依頼し、彼の設計した建築を見る機会があったにすぎない。三澤文子さんと会ってからしばらくして、段ボール一箱分の三澤康彦関連の書籍や雑誌が彼女から送られてきた。古い順から読み進めていくと、三澤康彦の仕事の軌跡がはっきりと読み取れた。納賀事務所で2×4構法の合理的な考えを頭にたたき込んだ男が、かたや藤本昌也率いる民家型構法を頭にたたき込んだ女と結婚し、自宅を設計。その後、阪神淡路大震災の大きな経験が彼らの木構造の合理化試行に拍車をかけ、何人かのキーパーソンとの幸運な出合いがあり、2人3脚でフォルクスC、Jパネル落とし込み構法の開発へと進んでいく一本の道筋がはっきりと読み取れた。この道筋を本の背骨にすればいい。三澤文子さんに「千里私たちの家からJパネルハウスへの道のり」を新たに書いてもらうことにした。
 三澤文子さんから出版の相談を受けた時、もう一つ頭に浮かんだことがあった。それはかれこれ20年前に録音した速記録であった。当時、OM研究所(所長:野沢正光)があり、毎週土曜日に、若い設計者向けの勉強会をやっていた。三澤康彦と文子も合計4回、「地域循環型住宅としての木造」というテーマで講義をやっていた。それはちょうど彼らが開発したフォルクスCのシステムで地域の工務店が展開を始めていた頃である。土曜建築学校の講義はシリーズ書籍として建築資料研究社から4巻出版することができたが、三澤康彦の講義録は私の手元に残ったままだった。読み返してみると、当時、彼が意図したこと、彼が危惧していたことは、20年経った今もまったく変わっていないどころか、待ったなしの状況になっている。たとえば日本の森林面積は過去50年間、横ばい状態であるが、森林蓄積量は毎年増え、三澤康彦が講義をした20年前には4割に満たなかった伐期に達した人工林は、今は全体の7割に達している。国産材が有効に使われず、燃やす木の値段で山が取引されている現状では、次世代の人たちが使うための木材を植林するためのコストが出ないと、林業家は悲鳴を上げている……。この速記録を本の始めに置こうと考えた。
 大きな骨組みができると、寄稿者は自ずと決まってくる。先ず、三澤康彦に日本の山と林業に向けて目を開かせた林業家・和田善行さん、そして藤本昌也・田中文男の民家型構法とMsのJパネル落とし込み構法を比較するのに最適任者である構造家・山辺豊彦さん、さらに三澤康彦・文子と同じ建築家であり、友人でもあった泉幸甫さん。ジグソーパズルのピースが嵌まるように本の構成は決まった。
 大部の本ではないが、背骨のしっかりした本は編集していてもやはり気持ちがいい。発行日は三澤康彦の命日である5月5日とした。三澤康彦もきっと喜んでくれるだろう。
 君はすこしだけ早く逝きすぎたが、横道には目もくれず、まっすぐに生きた人生だったんだね。


by komachi-memo2 | 2019-04-25 15:06 | ヒルトップの日々 | Comments(0)