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ソウル訪問③鳥を探して公園散策

 4月17日、ホテルでの朝食後、息子の元とソウル市内の緑地を散策した。さすがに今回の旅行では野鳥撮影用の望遠レンズは持っていかなかったが、双眼鏡と運動靴はキャリーケースに放り込んでおいた。ソウル市内はバス路線が毛細血管のようにはりめぐらされていて、どこに行くにも便利である。韓国の交通系ICカードT-moneyをコンビニで購入・チャージし、あらかじめe-SIMに切り替えたスマホのGoogle Mapさえあれば乗り換えは苦にならない。といっても元がすべてナビゲート役をしてくれたのであったが。

 ソウルに行くならぜひ観たいと思っていた鳥はカササギ、ダルマエナガ、コウライウグイスの3種。カササギはともかく、他の2種は日本国内ではまず観ることができない。カササギはソウル市内の緑地のどこにでもいた。ハシボソガラスより少し小さい賢そうなきれいな鳥。私にはこの鳥のしゃがれたシャカシャカという少しさみしそうな鳴き声が、どこか韓国らしく愛おしく感じられる。最初に行ったのは明洞の南方の南山公園。今が盛りと桜、レンギョ、ツツジが新緑に映える。ダルマエナガは案外、簡単に見つかった。灌木の下を7、8羽の群で忙しなく移動していく。エナガと名に付くが、科は別で、嘴が小さく、上嘴が湾曲している。頭の形もエナガよりずっと丸い。さて、残るはコウライウグイス。ネットで検索すると漢江近くの緑地に可能性がありそうだった。バスの乗り継いで、ソウルの森公園に行く。しかし、コウライウグイスには出会えず。時期が早すぎたのかもしれなかった。元の万歩計は2万歩を超えていた。


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◎確認した鳥

南山公園:シジュウカラ、エナガ、ヤマガラ、ヒガラ、ハシブトガラ、ダルマエナガ、ハシブトガラス、キジバト、センダイムシクイ、メジロsp、カササギ、ヒヨドリ、アカゲラ、コゲラ、スズメ

ソウルの森:カワウ、ウミネコ、カルガモ、マガモ、オオバン、オカヨシガモ、コガモ、アオサギ


# by komachi-memo2 | 2025-04-30 09:00 | 探鳥 | Comments(0)

ソウル訪問②韓国国立現代美術館でのスピーチ

16日、午後、オープニングセレモニーに間に合うように徳寿宮に向かう。韓国国立現代美術館はいくつかの館に分かれており、今回の企画展は徳寿宮館での開催。1910~30年に生を受けた韓国内でこれまでほとんど見過ごされてきたシュールレアリスムの特質を示す6人の画家に焦点を当てていた。その中でも「発掘的」という意味では亡父は韓国の人々にとってその代表かもしれなかった。会場は6人の画家各々に広い空間が当てられて、F100の大きな絵も気持ちよく観られた。6人の画家の遺族を代表して、自分の今の気持ちを以下のように素直に述べた。


 こんにちは(アンニョンハセヨ)。真鍋英雄(キム・チョンナム)の息子の真鍋弘と言います。このたび「韓国近代芸術家の再発見、シュールレアリズムと韓国近代芸術」という、とても意義深い企画展に招待されたことをうれしく思います。

 今回の企画展に招待された6人の画家はいずれもこれまで韓国でほとんど知られていない画家だと聞きました。そうした画家たちを発掘し、焦点を当て、韓国の近代芸術の陽の当てられてこなかった根っ子の拡がりを地を這うように探求されている美術館の試みに敬意を表したいと思います。

 私の父は日本統治下の朝鮮に生まれ、若くして日本に渡り、福沢一郎という日本のシュールレアリズムを牽引した画家に師事し、生涯にわたって師弟関係を続けた画家でした。戦前、池袋モンパルナスという芸術村に暮らし、多くの絵描きの友人を持ち、暮らしを共にしました。しかし、そうした生活は長くは続きませんでした。治安維持法で福沢一郎が逮捕され、父も徴用されたからです。戦争が終わり、朝鮮が日本の統治から解放されても、父は日本に留まり、日本に帰化し、亡くなる年まで絵を描き続けました。その理由を後年、母は私と結婚するためだったと、そっと教えてくれました。父からは結婚以前のことは、自分が朝鮮人であることも含めて、何も聞かされずに私は育ったのです。

 折りに触れ、父が描いた絵を見直しながら父が絵を描いた当時、何を考えていたかと想像することがあります。若い頃のことを何も話してくれなかった父でしたから余計、想像をたくましくするのです。それぞれの絵に込めた思いを考えることは、私自身のルーツを探す旅でもあるのです。

 若い頃よりも客観的に父を考えることができるようになったのは、年齢のせいもあるでしょう。そして私の中のプライベートな真鍋英雄と日本の美術界の中での真鍋英雄、韓国側から見たキム・チョンナムの像が、いわば光の当て方が異なると違って見えるように、同じになり得ないことも時に痛みを感じながらも了解できるようになりました。

 昨年、私は父の死んだ年になっていました。父の絵を公的な場所に保管することを考え、日本の3つの美術館に数点を寄贈しました。そのすぐ後に、韓国からの招待を受けたのです。ですから、父の絵が戦後80年を経て、初めて韓国で展覧され、多くの方に観てもらえることは、父にとっても私にとっても運命のような気がしています。

 この企画展で紹介される芸術家たちは生きた時代がほぼ同じです。しかし、生きた経緯がそれぞれ異なるように絵も多様です。それぞれの芸術家が辿った道を想像し、そのなかにシュールレアリズムの系譜の拡がりを知ること、そこに今回の企画展の意義があると感じています。多くの方に関心を持っていただき鑑賞していただければと願っています。

 最後になりましたが、展覧会の企画・開催にご尽力いただいた方々に感謝申し上げます。ありがとうございます(カムサハムニダ)。


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# by komachi-memo2 | 2025-04-28 12:00 | 国立の記憶 | Comments(0)

ソウル訪問①韓国国立現代美術館からの招待

4月15日から4日間、ソウルを訪問した。韓国に行ったのは8年ぶり。亡父の絵が展示される韓国国立現代美術館での企画展「韓国近代芸術家の再発見②シュールリアリズムと韓国近代芸術」のオープニングセレモニーに参加するためだった。美術館から届いた招待状には亡父の絵「枯花の幻想」が印刷してあった。

金浦空港の到着ロビーには従姉妹のミンソンが出迎えに来てくれていた。ソウルにいる間、彼女は時間の許す限り私たちを接待してくれた。16日、セレモニー出席の前に、ミンソン、金智英さん、編集者のチェさん御夫婦と昼食を共にする。金智英さんは今回の展覧会のカタログに亡父について評論を書いてくれた日韓美術史の研究者で、以前、私の実家にも来られたことがある旧知の人。私、ミンソン同様に今回の展覧会には一方ならぬ思いを持っておられる。チェさん御夫婦は日本留学で美術史を専攻した方で日本語が達者。今回の企画展のカタログ編集を手掛けている。このカタログが凝っていて、亡父の絵「鳥たちの産児制限」を表紙にしているが、開くとポスターになる。製本も糸かがりで左右の頁が気持ちよく開く。話題は私、ミンソン、金先生がこれから作りたいと考えている亡父の作品集に集中した。私は韓国で出版することに異議がないことをみんなに話す。亡父の作品集づくりに韓国側に協力な味方を得た。なんとか日韓英の3ヶ国語併記の充実した作品集を近年中にまとめたいと思う。

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# by komachi-memo2 | 2025-04-28 07:00 | 国立の記憶 | Comments(0)

HIDEO MANABE Painting Collection 1941〜1986

4月初旬、亡父の主な絵を収録したフォトブックを極少部数だけ作った。私の父、真鍋英雄の絵は、死後も長らく国立の実家に保管されていた。絵の写真のほとんどはずいぶん昔、2010年1月に私が撮影したものである。その後、母がなくなり、家を手放したために父の絵は現在は貸倉庫に保管されている。幾度なく私たちが元気なうちに公的な保管先を考えなくてはいけないと、弟と話をしてきた。気が付けば私は父が亡くなった年齢を過ぎていた。もうあまり時間が残されていない。昨年、思い立って父の若い頃の作品である「水辺」が収載されている板橋区立美術館の弘中智子氏に相談すると、板橋区立美術館、府中市美術館、たましん美術館の3館が寄贈を受け入れてくれ、計9点を収蔵することができた。秋になり、思いがけない申し出が韓国からやってきた。今年4月から韓国国立現代美術館が開催する企画展「Surrealism and Korean Arts」で父の絵22点を展示したいという申し出だった。死後40年が経ち、父の絵が初めて彼の生まれた国で展覧開示される。これも父の運命なのだろう。このPhotoBookはお世話になった人へのプレゼントとして、開催スケジュールに背中を押される形で作った。収録した作品は現存する絵の8割ほどである。今後作りたいと考えている日英韓3ヵ国語による作品集のテストピースでもある。


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# by komachi-memo2 | 2025-04-25 10:08 | 国立の記憶 | Comments(0)

三宅島航路探鳥

3月21日、アホウドリ狙いで船内一泊三宅島航路探鳥をバーダー仲間と行う。Sさんの呼びかけで集合したのは合計10人、男性3人に女性7人と多かった。今回は元も参加。20日、竹芝桟橋出港22:30。翌21日5:00、三宅島三池港に着岸。晴れているが、やや風あり。島での探鳥は午前中いっぱい、夏鳥到来はまだなので、大路池周辺に集中して探鳥する。迷子椎を目指して歩いていると、あちらこちらからタネコマドリの囀りが聞こえてくる。前方の道の脇でアカコッコが落ち葉の中を夢中で採餌している。少し暗いが何枚かシャッターを押す。大路池の畔で朝食をとる。タネコマドリは迷子椎とビジターセンターの間の往復で3度ほど見ることができた。モスケミソサザイを見たのは、一度だけ。私にはシャッターチャンスはなかった。13:30、三池港に戻り、いよいよ後半の海鳥観察。乗船の順番を並んで待っていると、港近くをカツオドリが横切る。岸壁近くにアオウミガメが顔を出した。甲板では逆光と風を避けて、バーダーはみんな進行方向右側に陣取る。その数20人ほど。出港して1時間ほど経った頃、にわかにアホウドリの出現数が多くなる。成鳥になりかけの若が一番多いが、幼羽もいて、バリエーションを楽しめた。コアホウドリ、クロアシアホウドリはそれに比べて数はそれほど多くなかったが、後半に多く出現した。アホウドリ類以外で見られたのはカンムリウミスズメで、2羽で船に並行して飛ぶ姿を4度見た。オオミズナギドリはいつもより少なめだった。今回、撮影した道具はニコンZ50Ⅱに500mmf5.6。D500も持っていったが、結局使わなかった。海を背景にした写真は鳥にピントが合っていても海面の反射光の影響でメリハリのない写真になってしまう。かといって、空抜けの写真は面白くない。結局、水平線近くの撮影が多くなるのは仕方がないのだろう。
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# by komachi-memo2 | 2025-03-30 11:37 | 探鳥 | Comments(0)