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長津呂崎の鳥キチたち

c0042548_22401280.jpg「何を見ているんですか?」
「海鳥です。肉眼では見えないんですがね」
今日、何度目かの観光客の同じ質問にメンバーが答えている。場所は城ケ島・長津呂崎。メンバーは城ヶ島沖の海鳥観察グループの鳥キチの面々。元さんも私も昨年からメンバーの末席に入れてもらっている。
「ブイの右にアビ類5羽、左に移動……今、通過」とメンバーの声。「はい、キャッチしました。」他のメンバーの声。メンバー全員が海上の水平線にプロミナーを向けて接眼レンズから目を離さないから、海上にあるいくつかの目標物、ブイや浮き玉、釣り船、天気のいい日には北から南まで水平線の彼方に見える大山、富士山、伊豆半島、大島などを目印に、声をかけながら鳥の発見場所と移動方向を教え合う。40、60倍のプロミナーで見ても米粒ほどの鳥のシルエットと白黒の濃淡だけがわずかに確認できる(こともある)究極のバードウォッチング。難しいからこそハマると怖い。ここに通い詰めるベテランバーダーたちはかなりの識別能力をここ数年で身に付けてしまった。元さんも私もまだ入門したてで、彼らの能力にただ唖然と感嘆している。
今日の城ケ島はとても寒かった。岩陰に風を避けて腰を下ろしているのだが、腰から下がブルブル震えて止まらない。それに海水温と気温の差が大きく、陽炎が立って沖の水平線上にピントが合わない。それでも参加者は14名。確認できた海鳥はアビ類、カンムリカイツブリ、オオミズナギドリ、ハシボソミズナギドリ、ウミスズメ、カンムリウミスズメ、コアホウドリ、ミツユビカモメ、カモメなど。元さんと私は初めてみるコアホウドリの飛翔の姿に感激の一日だった。
by komachi-memo2 | 2007-02-25 22:51 | 探鳥 | Comments(0)

ヤマアカガエルの卵

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家の近くの田んぼの小さな水たまりに、たくさんのカエルの卵。2月10日にオタマジャクシになったばかりのがいて、18日にまた見に行くと、さらに産みつけられていた。ヤマアカガエルの卵のようだ。アカガエルの類はまだ寒い早春の時期に卵を産み、田植えの始まる前にカエルになってしまう。田植え前に田んぼで繁殖する生物は北方起源のもの、田植えの後に繁殖する生物は南方起源のものであると、以前に守山弘の本で読んだことを思い出した。何万年、何十万年のオーダーで日本列島に進出し、ここ何千年のオーダーで人間の営みである農事暦にうまく重なるように生きてきた田んぼの生物たち。今年は近くの田んぼを一年間観察してみたいと思っているが、いま、一番気になるのは世界中で確認されているカエルツボカビ症のことだ。ツボカビ症になったカエルは縮こまった姿勢をするとか、瞬きをしないとか言われるが、実際はカエルの種類によっても違うようであり、まったく異常に気付かず突然死の場合もあるらしい。とにかく無意識に手や靴に付着した胞子を別の場所に運んでしまう危険性だけは避けなければならない。野外で観察に使った靴や道具は、その場で履き替えて、その都度消毒するようにしたい。
by komachi-memo2 | 2007-02-21 19:10 | かたちの不思議 | Comments(0)

2007.2.18二子山探鳥会

昨日は二子山の神奈川支部定例探鳥会。雨が本格的に朝から降っていたが、常連がリーダー含めて9人。雨でもフィールドに出たい人ばかり。林道入り口までの逗葉新道沿いの空き地にはホトゲノザ、ヒメオドリコソウ、オオイヌノフグリがすでに咲いている。空き地を探すと、あちらこちらにフキノトウや土筆が顔を出している。フキノトウはすで大きくのびてしまったものもある。他に、トウダイグサ、ツルカノコソウ、モミジイチゴなど。2月なかばにして季節はすでに早春である。鳥の声は聞こえず、ハクセキレイ、ツグミ、ヒヨドリを見るのみ。林道内にはいっても雨は止まず、長靴をもっていない元さんは軽登山靴を水浸しにして寒そう。水生昆虫観察の来月までに買ってやらねばなるまい。ウソ、カヤクグリ、クロジは確認できず。雨は復路、御霊神社に着く頃にようやく上がった。
●日時 2月18日 8時〜13時30分
●経路 長柄交差点→逗葉新道→大山林道(往復)→御霊神社
●確認した鳥 アオサギ、コサギ、ゴイサギ、ミサゴ、トビ、カルガモ、コガモ、キジバト、カワセミ、コゲラ、キセキレイ、ハクセキレイ、ヒヨドリ、モズ、シロハラ、ツグミ、ウグイス、ヒガラ、ヤマガラ、シジュウカラ、メジロ、ホオジロ、アオジ、シメ、スズメ、ムクドリ、カケス、ハシブトガラス、ハシボソガラス、計29種
by komachi-memo2 | 2007-02-19 00:50 | 探鳥 | Comments(0)

ドラちゃんとペッタン

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小さな魚を飼い始めて今年で4年め。水槽は3つに増えた。ただいまの住人(住魚?)はメダカ1、金魚2、グッピー約50、オトシンクルス3、コリドラス・ジュリー1、川エビ1,ボララスマキュラータ12である。写真左はコリドラス・ジュリーで名前はドラちゃん、右はオトシンクルスで、名前はペッタンである。コリドラス・ジュリーは最初2匹いたが、もう一匹の♂のジュリーちゃんと名前をつけた個体は飼い始めてまもなく、♀のドラちゃんにいじめられて、この世を去った。ドラちゃんはストレスがないのか体長が4年で2倍に増えた。ペッタンはコケ掃除をしてくれるのは助かるが、いまいち心が通じない。
by komachi-memo2 | 2007-02-18 23:32 | 茅木山の日常 | Comments(0)

「ミヤツネ」そろそろ最終

c0042548_1281919.jpg13巻ミヤツネの仕事もそろそろ最終段階である。昨日、初校出校。DTPだから文字直しゼロといきたいところだが、今回の初校戻しは真っ赤になる。あれだけ見たというのに、トホホ。今頃になって新しい図面を追加したりしている。ティグラフィックスの堀渕さんからカバーダミーが上がってきた。表紙には宮本常一の汽車の窓からの民家の屋根のスケッチを使った。ちょっとのほほんとした感じ。予想したとおりで、気に入っている。泣いても笑っても後残すところ1週間ほど。編集業に100点満点はない。やれやれ。カバーリードと主な内容は次の通りである。



百の知恵13巻 宮本常一著・田村善次郎編『日本人の住まい——生きる場のかたちの変遷』
●カバー裏リード 
日本人の住まいのかたちは、どのようにして形成されてきたのだろう。
それは日本各地の暮らし方や生産のあり方、
家族のかたちの変遷とどのように結びついてきたのだろうか。
たとえば土間の広い家と狭い家があるのはなぜか。
仏壇は住まいのかたちにどのような影響を与えたか。
土間の家と高床の家はどのようにして結びついていったのか。
カマドとイロリは炊事法や家の構造とともにどう変遷したのか。
庶民の住まいに便所や風呂ができるのはいつごろからか。
広範な全国に及ぶフィールドワークの見聞と体験を通して
日本の民家を庶民の「生きる場」という視点から見続けた
宮本常一の刺激的な民家論。

●主な目次
第1部 日本人の住まいはどのように変わってきたか 
第2部 暮らしのかたちと住まいのかたち 
能登の旧家——能登の旧家は大きい。どうして大きな家におおぜいで住んだのだろう
土間の広い家——東日本に多かった土間の広い民家。こうした家はどのような使われ方をしていたのだろう
土間住まい——土間に筵を敷いて暮らす土間住まい。土間住まいの名残は近年まで民家に残っていた
土間の狭い家——土間の狭い家も日本各地にあった。そこではどのような暮らしが営まれていたのだろう
二つの家——土間の家と高床の家。二つの家が結びつくと土間も床もある家になる
寝間と家の神——神聖な空間だった寝間。家の神は住まいのかたちにどんな影響を与えてきたのだろう
カマドとイロリ——日本人の住まいと暮らしはイロリとカマドとともにどう変わってきたのだろう 
家作の統制——旧藩時代に各藩がとった家作の制限は民家の構造にどんな影響を与えたのだろう
客間の発達——生活の向上と変化の中で、客を迎える場を住まいはどのようにしてもつようになったのだろう
便所と風呂——便所や風呂が住居の一部としてはっきり位置を占めるのはいつ頃からだろう
  

by komachi-memo2 | 2007-02-17 12:22 | 百の知恵双書 | Comments(3)

百の知恵第13巻は未刊の「ミヤツネ」

c0042548_915753.jpgようやく百の知恵双書13巻DTPデータを昨夕、東京印書館にスケジュール通り入稿した。暮れからの気分の缶詰状態からようやくしばし解放される。13巻は手強かった。宮本常一のこれまで未刊行だった民家の原稿である。タイトルはまだ確定していないが、『日本人の住まい』。これまで住まいについて宮本が書いた原稿はいくつかあるが、これだけまとまったかたちで書かれたものはない。日本人の庶民の生活のかたちがどのように住まいのかたちに影響したかが書かれている。書かれたのはおそらく昭和43年頃。大学紛争盛んなときで、建築科の学生の意識的な部分は各地の集落に入ってデザインサーベイをおこなっていた頃だ。武蔵美や早稲田の建築の学生は親しみを込めて「ミヤツネさん」と呼んでいたというが、宮本もそうした学生の動きを応援(そそのか)し、刺激をもらっていたに違いない。そうした時代のなかで「民俗学」と「建築学」の距離も接近していたのだと思う。
これまで未刊行だった理由は、原稿がほぼ9割方書かれながら生前未完のまま残されたからだ。小さな携帯用の200字詰めB6の原稿用紙に400枚ほど。「真鍋、やってみる?」宮本常一に近い人から生原稿を見せられて、「いや、結構です」という編集者はいないだろう。「でも、図版を見つけなければいけないんだ」。未刊行だった理由は他にもあったのだ。使用する80点ほどの図版が原稿に図番号が記されただけで何も残されてはいなかった。はじめて原稿を読んだのは昨年の初夏。それから図版探しが始まった。結局、5点ほどの図版は探し出すことができなかった。古い民家の写真は故川島宙次さんの写真を使用することを信子夫人が快諾してくれた。版権者の宮本千晴さんの了解も得られた。これで、ようやく宮本常一の民家論が日の目を見る。刊行は3月末である。
by komachi-memo2 | 2007-02-08 09:20 | 百の知恵双書 | Comments(6)