2006年 04月 15日
東長崎で見つけた木造2戸1
池袋モンパルナスの散歩中に見つけた木造下見板の2戸1住宅。ワァーなつかしいなと、思わずパチリ。昭和30年代の私が暮らした町・国立の自宅の前には同じような2戸1が6棟ほど建っていた。大家は大工ではなかったが、確か自分で建てた貸家だった。当時はそんな器用な人が近所にもいた。まだ空が大きかった時代だ。写真の住宅は本瓦で葺いているが、チープなスレート瓦でないといけない。そこには幼友達、近所の悪ガキがぞろぞろ住んでいて、左の住戸も右の住戸も遊び友だち。今ではとても考えられないことだが、2戸1の真ん中には共同トイレがあり、子供たちはトイレを通してバタバタと行き来して大人たちに怒られた。トイレはもちろん汲み取りで、臭くて暗い穴を跨いで、隣の家に行くときの緊張感を便所の匂いと共に思い出した。
へえ。国立の昭和30年代はこんなんだったのですか。いいなぁ~。。。
その時代を知っているって、素敵ですね。。。
いまや木造の駅舎は、かりのトタン駅舎にとって変わられていますが、、、
突然、唐突なコメント失礼致しました。祖母のうちが日吉町にあり、国立駅前商店街をよく利用するもので、、、
その時代を知っているって、素敵ですね。。。
いまや木造の駅舎は、かりのトタン駅舎にとって変わられていますが、、、
突然、唐突なコメント失礼致しました。祖母のうちが日吉町にあり、国立駅前商店街をよく利用するもので、、、
0
Commented
by
komachi-memo2 at 2006-11-16 19:08
フワさん、はじめまして。この間、久しぶりに国立の実家に戻った日が、三角の駅舎の最後の日でした。
by komachi-memo2
| 2006-04-15 10:42
| 国立の記憶
|
Comments(2)